先日、ベトナムの友人が来日した。東洋一高いビルに登ってみたいと言うので、横浜まで出かけた。私も初めてだ。ついでに山下公園や港を案内していたので、ビルに着いた時は、少し遅い時間になっていた。まあ、夜景なんて、どこでも同じだ。 食事をするのに、歩き回るのは面倒なので、隣のホテルへ入った。「何がいい?」「和食」。こりゃあ、ちょっとした出費になりそうだなと覚悟を決めて、ホテルの最上階にある和食屋に向かう。予想した通り、メニューは2~3種類しかない。1人1万5千円の会席料理にした。相手は若い女性だけど、御主人も良く知っているし、アバンチュールは期待できない(う~ん、高い・・・何を考えているのかね、このオヤジは)。彼女には、日本のレストランの値段は、想像できないだろうなと思っていた。 帰り道、彼女が言った。「さっきの食事代、1人150ドルでしょ」。あれ、値段だけは、ちゃんとチェックしていたんだ。「うん、そうだよ」「ベトナムでは、農家の1年間の収入が、150ドルよ。それで、家族が1年間生活できるのよ。私達は、1回の晩御飯で、年収を食べてしまったわけね」。(そうか、老後はベトナムで暮らそう)。 確かに、この金額は、初めて東京へ出てきた頃の2ヶ月分の生活費だ。家賃から食事代、学費、その他もろもろを、1ヶ月7千5百円程度でやりくりしていた。大学の食堂のカレーライスが60円だったように思う。お金がない時には、インスタントラーメンばかり食べていた。1個15円くらいだった。玉子を1個、加えることが出来れば、それこそ贅沢というものだ。しかし、1週間続けて、インスタントラーメンを食べていると、体臭までがインスタントラーメンになってくる。そんな時には、新宿の残飯横丁(と呼んでいたが)の、安い食堂街まで出かけて、豪華な食事の気分を味わった。 そんな時に、友達が儲け話しを拾ってきた。探偵社の仕事だという。その探偵社は、小さな雑居ビルの中にあった。金に困った学生達が、何人か集まってきていた。 仕事は、紳士録を売り歩く仕事だ。紳士録というのは、強烈に重い。それを、山登り用のキスリングに詰めて運ぶ。とにかく、たくさん運んだ方が儲けが大きいから、詰め込めるだけ詰める。30~40キロの荷物を担ぐ。当時は、山に登っていたから、それ位の荷物を担いでも平気で歩き回れた。こういうザックを担いでいると、背中の腰のあたりに、タコができる。 お客さんが、どういう事情で、印鑑を押したか知らないが、とにかく注文書はある。それを持って出かけるわけだ。「あの~、注文された紳士録を持って来たんですがぁ」。「何だ?」。「紳士録です」。「そんなもの知らないよ」。 「でも、この注文書にハンコが押してあるんですが」。「注文した覚えなんかないよ」。「そうは言われても、この紳士録の、この部分に、お仕事や御家族のことが掲載されていますので・・・」。ここで、大体が、しぶしぶ金を払ってくれる。それでも駄目な場合は、「持って帰れと言われても、お客様だけのために作っていますので、他に売ることもできませんし・・・。一応、印鑑が押してありますから」と、たたみかける。 人間とは不思議なものだなと気づいた。自分の名前や、家族のことが掲載されているだけで、多くの人が喜ぶ。他の人が読むことは、ほとんどないだろうから、自分で見せて歩くためだろう。活字の威力を思い知った。 もっとも、いくらねばっても、「寄り合いで、酔っていた時に、印鑑を押させたんじゃないか」と怒鳴りつける客も居る。少々もめて、ヤバイかも知れないと感じた時には、最後の逃げ道がある。「私達は、学生なんで、詳しい事情がわからないんですよ。会社の方へ聞いてもらえませんか」。そして、その場で電話をかける。まあ、ここまでやれば十分だ。 念のために言っておくが、紳士録というのは、多くの企業や個人が利用する。信用情報であるため、内容は正確だ。ただ、私たちの仕事は、小さな探偵社の客先回りであった。だから、お客さんも、小さな店舗や個人が多く、紳士録に対する意識はあまりなかったと言える。(今頃は、大きな会社になっているのかなぁ。それとも・・・。ふと、確かめてみたい衝動にかられる時がある) これが、当時としては、すごい儲けになった。1日、売り歩いて帰って来ると、その代金から、すぐに歩合がもらえた。都心部をまわれば、何軒も回れるから、代金も大きい。郊外は、移動に時間をくわれるから、そんなに何軒も回れない。しかし、少ない日でも5千円、多い日だと、1万円、2万円の収入になった。1日の稼ぎが、1ヶ月分の生活費に相当したわけだ。 もっとも、こういう風に、日銭で大金が入ってくる時は、絶対に残らない。お金を受け取るとすぐに、夜の町へ遊びに出かけてしまうからだ。大阪万博の時だったか、この手を使った頭の良い政治家が居たと聞いている。税収不足で予算が足りなくなりそうだったので、建設労働者の給料を、普段よりも高くして、毎日支払うようにしたそうだ。そのとたんに、町の景気が活性化し、競輪、競馬などの売上げが、急激に増えたそうだ。給料をあげた分よりも、収益が増えたらしい。本当の話しかどうかは知らない。 これだけ儲かると、もっと儲けを多くしようと考える奴が現れる(これも、人間の心理だ)。こんなに多くの歩合を、学生に払ってくれるということは、きっと弱みがあるはずだ。某大学の、強持ての学生が言い始めた。「そうだ、そうだ」、すぐに同調する。 かくて、探偵社で、「歩合をあげろ」と学生達の座り込みが始まった。学生には、いくらでも時間はある。朝から晩まで、事務所の中を、学生達がうろうろする(今から考えると、ほとんど、恐喝だね)。尾行の依頼などの電話がかかってくる。その応対を聞きながら、「そうやって、儲けるのか・・・」なんて騒いでいる。可哀相に、仕事にならない。 そして、歩合給はアップした。そんな学生の要求を聞いたんだから、きっと優しい社長だったのだろう。私は、むちゃくちゃ儲かったはずだが、仕事が終わった時には、何も残っていなかった。
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