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ジャカルタでは家を借りていた。妻が居た時に借りた家は、入り口を見ると、こじんまり見える住宅だ。しかし、中へ入ると、ぐっと内側で広くなっている(おそらく金持ちの家に見えないようにする生活の知恵なのだろう)。この家を借りた時に、ベットルームの数を数えた。全部で9つの寝室があった。他にも、食堂や応接間、住み込みの女中部屋まであるから、部屋数はもっと多い。さらに、表の庭だけでなく、仲庭があった。そんなでかい家の全部の部屋に、トランクの荷物をばらまく真似はやめた方が良い。すぐに、家の中を歩きまわるだけで、くたびれることに気付く(・・・まあ、やったから知っているんだけどね)。 単身で出かけた時も、たいていは、3~4人で1軒の家を借りる。それぞれが寝室を占有しても、共有スペースはあるし、使用人の費用もシェアできるから、ホテル住まいなどより、はるかに快適で費用も安い。 料理人の女性、洗濯や掃除の担当、門番などが住み込んでいる。他に運転手付きの車があるわけだから、大名暮らしである。そんな生活が、30歳そこそこで出来るわけだ。 しかも、日本人社会は大きいとは言っても、それなりのサイズだから、日本に居たら口をきく機会もないような雲の上の人達とも交際できる。平社員だって、日本から社長が出てくれば接待役になったりする。そんな環境に居ると、いつのまにか自分の立場を勘違いし始める人が居たりもすると聞いた。 それはさておき、女中達で一番上は、料理人だ。日本料理が作れる料理人は、どこでもひっぱりだこ。日本人家庭に住み込みで働いて、奥さんから日本料理を学んだら、働き口に困ることはない。とても手慣れた料理人でも、住み込みの月給が3~4千円だった。 女中さんという言葉は、日本では使っていけない言葉になっているらしい。お手伝いさんと言うのが良いようだ。確かに、インドネシア語でもプンバントゥと呼ばれるこの職業は、直訳すると、お手伝いさんである(でも、使いなれた言葉の方が、話しやすい時だってあるのだ)。 日本の家庭料理が作れる女中さんが居たりすれば、単身赴任だって、日本よりも、はるかに快適な暮らしになる。朝、起きてテーブルに座る頃合いを見計らって、ちゃんと朝飯が目の前に並べられる。夜中、何時に帰宅しても、「飯」の一言で、暖かい料理が並ぶし、「食べて帰って来たよ」と言えば、それで終わり(文句を言われることもない)。天国ですね(男性だけじゃなくて、女性にとっても)。 皆で1軒の家を借りている時は、料理頭に、家計も任せていた。この金額で、食事代を賄ってよというわけだ。出費は、女中が家計簿をつけて、主人がチェックすることになっている。しかし、面倒だから誰もやらない(特に、日本人男性は)。かくて、共存共栄となる。彼女達にしてみれば、日本人達の、そんな家で働けば、彼女の年収以上の家計費がチェックなしで自由裁量に任されるわけだし、単身赴任者達にしてみれば、高々数百円程度をチェックするよりは、旨いものが毎日食べられれば文句はない。 私の場合は、コーヒー飲みだから、最初の頃は、「飯」以外に「コーヒー」という注文も多かった。いつだったか、夜中にコーヒーを持って来てくれても、全然、部屋を出ていかない女中が居て困ったことがある。まもなく、運転手との関係が発覚して、原因が判明した。彼女にしてみれば、一旦、そういうことが起ったなら、より金のあるスポンサーをみつけたかったのだろう。しかし、こういう時の後処理は、大騒動である。田舎から、彼女の家族から親類縁者までが、ぞろぞろ登場し、手を出した運転手との賠償問題が大広間で延々と議論されることになったからだ。 こういう国で生活する時には、絶対に、使用人に手を出すようなことをしてはいけない。王侯貴族のような生活で、タガがはずれる人間が居ないとは言わない。しかし、発展途上国は、特に道徳がうるさい社会である。よく日本人の売春ツアーが取り上げられる(最近は、日本男性よりも女性がすごいが・・・まあ、この話しはいつか書こう)。これは、通常の社会とは、別の社会とみなされている。その別の社会で、いくら遊びまくろうと、誰にも何も言われることはない。しかし、裏から表の社会に戻った瞬間から、その人の社会的地位に見合った行動が求められる。 洗濯担当のお手伝いさんは、掃除や洗濯が担当である。洋服を、そのあたりに脱ぎちらかして出かけても、家に帰って来ると、奇麗に洗濯され、アイロンがかけられ、洋服ダンスに整理されている。ジーンズも、アイロンがけされて、まっすぐな線が入っているが、まあ仕方ないだろう。でも、カミさんは、時々、嫌がっていた。自分で洗濯して片づけた下着まで、きれいにアイロンがけされて、店の商品棚に並んでいるかのように整理されて、引き出しにならべられていたりする。しかし、単身者にとっては、ホテル暮らしより快適なのは言うまでもない。 門番は、年配の老人か、若者が多い。若者と言っても、学校へ通っているような年齢である。これは、相互扶助の仕組みでもある。貧しい家の子供は、学校に通うお金を稼がなければならない。昼間の仕事をしていたのでは、学校へ行けないが、夜の門番なら両立できる。門番といっても、何か特別な仕事があるわけではなく、夜中に帰って来た時に、門を開けるだけが仕事だ。高級住宅街なら、地域のガードマンが巡回しているし、そんなに治安が悪いというわけではない(たまに、引越し屋を装って、まるごと盗まれたという話しも聞いたが、誰かが居れば、そんなことはない)。 住宅が大きいから、入り口でベルを鳴らしたり大声で叫んでも、奥までは聞こえない。そんな時に、玄関近くで寝ているのが仕事の門番君が居ると助かる。眠い目をこすりながら、ごそごそ起きてきて、門を開けてくれる(起きて見張っているわけではない)。たいていは、夜遅くまで、勉強している。田舎から出てきて、学校へ通うのが目的だから、皆、とてもまじめだ。 しかし、まだまだ子供だったり、都会の生活に慣れていないから、変なことも起る。ウチでは、門番君に、庭の水撒きも頼んでおいた。毎日、庭の植物に水をやったり、表の通りに、水をうつ係りである。ある日、気付いたら、門番君が水撒きをしている。外は、スコールで、どしゃ降りなのに、彼は、ホースを持って、庭に水撒きをしているのだ。水撒きが何のためか、彼には理解できてないようだ。どうしようかなぁと思った。雨の日には、水撒きをしなくていいんだよと教える必要がある。でも、そのためには、表通りのほこりを抑えるだの、植物の成長だのの話しをしなくてはいけない。おしめり程度の雨なら、やっぱり水撒きをして欲しい。自分の言語力と、彼の理解力で、このあたりの常識を教えることが出来るだろうか。しばらく考えてから、まあいいかと思った。別に、雨の日に水撒きをしても、困ることはないわけだ。一生懸命働いている彼に、「ありがとう」と言うだけにした。かくて我が家では、雨の日にも水撒きが続くことになった。
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