オジサンのよたよた話し


土地神話

朝方起きて昼頃眠って、夕方、出かける。時間は、いくらでもある。誰に遠慮も要らない。寝たい時に眠り、起きたい時に起きる。収入がないだけだ。元経営者には失業保険は無い(後で知ったが、その前にサラリーマンをしていたから失業保険をもらえたらしい)。
子供の頃の夏休みを思い出す。夏休みになったら、あれをしようとか、これをしようとか考えていたはずなのに、気がついたら夏休みは終わっていた。

山手線の切符を買って、値段を久しぶりに知った気がした。私が社長をしていた頃、某超一流企業の社長を首になった知り合いが訪ねてきて、電車に乗って感動しましたと言っていたが、まさか自分が同じになるとは、想像もしていなかった。
プータローになって、まず最初にしたことは、携帯電話を買うことだった。それまで、どんなことがあっても、携帯電話なんか持ちたくないと思っていた。どこまでも、追いかけられるのは、まっぴらだった。行方不明になれる時間が欲しかった。ところが、今は時間はいくらでもある。逆に、他の人から行方不明になってしまったら、自分が終わりなのだ。

ストレスがたまりすぎていた。それで、意識不明になったりしたのだ。「私の幽霊に会った人達」で書いたが、あの時は、命を拾ったのだろう。しかし、気づいたら、カミさんは、もっとひどい状態になっていた。ストレスがたまりすぎると、何が起きるかわからない。その前に、何とかした方が良い。
私の場合は、プターローになってからも、しばらくは幻聴に悩まされた。最初は、幻聴と思わなかった。風呂場で聞こえる声は、他から響いてくる音だと思っていたからだ。車を運転している時に、いつもと同じ声が聞こえて、これはヤバイ事態が起きているとわかった。普通の人間は、自分は正常だと思っているから、異常になっている自分に気づかない。異常になっていることに気づけば、正常に戻れるチャンスもみつかるし、病院だって行ける。

その頃、日本最初の民間インターネットプロバイダーが誕生しつつあったし、私はPenPointに関わることになった(前に書いたので、話しが重複している)。
その少し前、インドネシアで会社を作ろうという話しを持ちかけられた。手持ち資金を少し投資して参加することにした。まだ、バブルという言葉はなかった。不動産価格は下がらないという神話が、まだ信じられていた。

ジャカルタに、ある業界のためのビルを作る。そのビルを、建てる前に分譲する。分譲した資金でビルを建てる。その業界の取りまとめをするための企業を設立して、 分譲の一部を、企業の資産にしようという目論見であった。これぞバブルという典型かも知れないが、誰も何の疑問も感じなかった。同時に、別荘地の分譲も計画された。仕組みは同じだ。計画段階で分譲した資金の余剰でインフラまで整備しようという計画だった。
設立する企業の株式は額面よりも高いものであったが、資本は集まった。しかし、土地への投資は冷え始めていた。日本の資本は、動かなくなっていた。まだ、アジアの資本は、土地投資に動いていた。日本以外のアジアでは、土地神話は生き残っていた。

日本の資本が動かないのに、何故、日系資本のオーガナイズ企業が必要なのか。インドネシア側から疑問が出始めた。そんな事業なら、インドネシア国内資本だけで、動かす方が良い。かくて、私の蓄えの一部は、紙屑になって行った。

あれは何だったのだろうか。あの時に土地は上がり続けると言っていた経済学者は、そろそろ懺悔すべきだろう。東京の土地を合わせると、アメリカが買えると言っていた馬鹿も居たように思う。お祭り騒ぎの間、鐘や太鼓を叩いていたくせに、ある日突然、他人事のような顔を始めた連中が多すぎないだろうか。現場で泥にまみれた人達の方が、何か許せるように感じるのは私だけだろうか。

ここに記載された内容は、どのような形でも、引用することも、ストリー展開を真似ることも禁止します。これを完成させるのが、老後の楽しみなのです。 Copyright (c) 1998 ojisan