タイの東北部にピマイという町がある。世界地図を広げてみて欲しい。このピマイの町と、カンボジアのアンコールワットとを直線で結ぶ。今は、何も無い。しかし、クメール文明が栄えていた頃、ここには王道があったはずだ。なぜなら、この直線に沿って、クメールの遺跡が、連なっているからだ。今は、ほとんどの遺跡が崩れているが、アンコールワットと同じ様式の遺跡が次々に現れる。クメール文明の遺跡は、石の回廊と池が特徴的だ。水不足にみまわれるこの地域では、池は生活の知恵でもあったのだろう。 フランス人で後に文化大臣になったアンドレ・マルローが、小説「王道」(1930年)の中で書いている。クメールの財宝を求めて密林の中へ分け入る話しだ。『カンボジアの濃密な熱帯雨林の中に埋もれ、かすかに盛土と一部に残る敷石のまるで川床のようにあらわれたり消えたりしている「王道」の導いてくれた先には、荒廃したクメール王朝の遺跡があった。』 私は、考古学とは、まったく縁がない人間だ。その頃は、コンピュータによるシミュレーションで生活していたし、考古学者になりたいと思ったこともなかった。ところが、ある日、私の所へ仕事がまいこんできた。クメール遺跡をデジタル画像として復元できないかという話しであった。面白そうな話しには、すぐに飛びつく。 タイの考古庁と協力して、クメールの遺跡を調査するのだ。タイの考古庁は、若い女性の考古学者が多い。遺跡修復に人生をかけてきたと熱っぽく語るオジイサンも居る。日本から一緒にでかけたのは、土木屋さん、測量の技術者、地底探査の専門家。地底探査の専門家は、南極で生き残った例の犬と一緒に南極にでかけたり、ピラミッドの探査をしたり、ジンギスカンの墓を探したりしていた専門家だ。ここまで書くと誰かわかってしまうかも知れないが、わかんないことしておこう。 (閑話休題:その1)そういえば、もっと昔々、南極探検が始まった頃の話しを聞いたことがある。好奇心の強い若者は、本当に○ッチ○○フを持って行ったんですかと聞いた。すると、老探検家は、なんの躊躇もなく答えてくれた。「ええ。お湯を入れて使ったんです」。なんか、すごく印象に残っている。変なことを思い出してしまった。 (閑話休題:その2)地底探査の専門家に伺った話しで、忘れられないものがある。核燃料の廃棄が問題になっていた頃だったので、私は、日本海溝に捨てれば、地球のマントルの中に沈んでいくはずだと言った。すると、その専門家は、「10億年位すると対流してきて、地球環境を汚染します。私たちは、10億年後の人類に対する責任があります」と答えた。その一言で、この人を、すっかり尊敬してしまった。 当時のカンボジアは、多くがポルポトの支配下にあった。アンコールワットは、ポルポトの支配地域で、入り込むことはできなかった。だから、まずタイにあるクメールの遺跡調査から始めて、平和な時代になったなら、アンコールワットも手がけようという準備調査でもあった。 タイには暑い季節がある。強烈な熱さ。東北タイでは水不足から農作物がとれなくなり、貧しい農民が娘を売ったりする悲劇が生まれる(今は、ちゃうデ~)。丁度、そんな暑い時期に、私たちは調査に向かった。アンコールワットの遺跡をイメージしてもらうと良い。すべてが石造り。どこにも日陰はない。木陰もない。石の上に照り付ける太陽が、さらに暑さを増す。たまに緑の木があっても、グリーンスネークといって、一噛みでおしまいという毒蛇が居る。緑色してるから、よほど近づかないと気がつかない。 いくつもの遺跡を見た。小さな遺跡から大きな遺跡まで。回りが人家や畑になってしまった遺跡もある。そして、大きな遺跡を歩いていた。その遺跡の修復に一生をかけてきたという老考古学者が、定年をまじかにひかえて、若い考古学者や私たちに、熱心に説明をしてくれる。情熱が、ひしひしと伝わってくる。話し始めたら、止まることはない。 私は、いいかげんにうんざりしてきていた。どの遺跡も、どの遺跡も、すべて同じ格好をしているのだ。宗教遺跡というのは、そういうものらしい。暑い、とにかく暑い。考古学には興味はない。皆から離れて、石積みの間になんとか日陰を見つけた。誰にもわからないように、そこに隠れて、ぼんやり煙草をすっていた。 すると、1人の女性考古学者が、私をみつけてやってきた。私の名前はオジサンにしておこう。「オジサン、石には石の居場所があるんですよ」。その言葉を聞いたとたんに、次に彼女が何を話そうとしているのか手に取るようにわかった。彼女は英語を話していたのだが、自分の中では、完全な日本語になっていた。なぜなら、今の情景を知っていたからだ。デジャブというよりも、まったく同じ情景の夢を見たのを思い出した。 何年か前に見た変な夢。石切り場のような遺跡で、女性の考古学者が話しているのを聞いている自分。夢の中で、彼女の言葉の1つ1つが強烈に印象に残った。考古学とは縁の無い自分が、何で、こんな夢を見るのだろうかと不思議でたまらず、私は、それを日記に書き残していた。その夢は、あまりにも唐突だったからだ。夢の中の女性は誰だったのだろうかと、しばらく気になって仕方がなかったのだが、そのうち忘れてしまっていた。 今、まさに自分は、その石切場のような遺跡に居る。次に彼女が話すのは、「崩れた石は、そこが居場所なんです。それが時間の流れでしょう。崩れた石を元の位置に戻すのが、本当に良いことなんでしょうか。崩れた遺跡は、崩れたままにしておくのが良いように感じることがあるんです」。夢の中では、そうだった。そして、彼女の話しは、その通りに続いて行った。もう私は、暑さを感じていなかった。 自分が予知夢を見たと実感したのは、これが最初だ。それ以後、夢の記録をつけるようになった。そして、親しい人にも、強烈に唐突な夢を見た時は、その話しをするようにしている。だから、それ以降の予知夢には、記録と証人が居る。
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