京都で仕事の話しをしていた。マニラへ一緒に行きませんかというお誘いを受けた。残念だけど時間がない。「マニラの仕事では、Sさんという方にお世話になってまして・・・」と聞いた。懐かしい名前に、こんな所で出会うとは思わなかった。Sは、学生時代に一緒に山に登っていた同級生だ。 彼は、学校を卒業すると、すぐに大手電機メーカのF社に入った。真面目で親切な大阪人(見るからに大阪のアキンドの風貌)であった。そんな彼は、あの夜、うち(ハサックである)に訪ねて来なければ、もう少し違った人生を歩んでいたかも知れない。 ニューギニアで、21個の壷を買い込んだ話しは、前に書いた。私の乗った貨客船は、横浜港に向かうものだと思っていた。横浜なら、誰か友人に迎えに来てもらえば、東京まで壷の山を運ぶことができる。しかし、船は大阪港に向かうと言う。今にも割れそうな素焼きの壷を、安い金で、大阪から東京へと運ぶ手段に、はたと困った。私は、Sに電報を打った。「オオサカコウ○○ニチニツク。クルマニテ、ムカエコウ」そんな簡単な電文であった。 Sは会社勤めのサラリーマンであった。まだ会社に入ってまもないサラリーマンが、簡単に休みが取れるかどうかなんて、私は考えもしなかった。だが、船が大阪港の岸壁に着いた時、私のボロ車と、その横に立っているSの姿があった。私は、船旅で知り合った可愛いお姉ちゃんと一緒に船を降りた。車に素焼きの壷を積み込んだ。まずは、彼女を実家まで送り届け、そこで一泊し(ずうずうしい奴である)、東京へ戻った。その間に、私のボロ車は、腐った排気管が外れてしまったようで、東京の町中に入った時には、ガーガーと強烈な音を響かせていた(隣のお姉ちゃんは恥ずかしそうであった)。 そんなSが、ある日、ハサックへ訪ねて来た。当時、はやっていたパズルを彼に渡した。球形が連なった部品を、うまく組み合わせて3角錐にするものだったか、四角形を組み合わせて直方体にするものだったか忘れたが、立体パズルであった。 Sは、これを解くために、壊しては組み立て、壊しては組み立てを何度も繰り返していた。その晩、パズルが解けなくて、彼は泊まった。次の日も、額に汗しながら(額が大きな奴である)、彼はパズルに取り組んでいた。そして、次の日も。3日目、「辞表出しに会社に行ってくる」と言って、彼は出かけた。かくて、彼は会社を辞めた。 何年か前、私は、インドネシアの小島から連絡船に乗った。いくつもの島をつなぐ連絡船である。海は、嵐のように荒れていた。波が、頭の上から、滝のように降ってくる。すし詰めの乗客は、甲板へもびっしりはみだしていた。手摺に必死につかまっていないと、木の葉のように揺れる船から、今にも波にさらわれそうであった。自分のつかまる場所を確保したら、もう移動は難しい。そして、いくつめかの島に着いた時に、下の甲板の人込みの中へ乗り込んできたSの姿をみつけた。大声で、Sの名前を呼んだが、嵐の音にかき消されて届かない。彼の方へ行こうとしたが、再び、船は荒海を走り出していた。目的地の港で、ずぶ濡れになって再会したのは、久しぶりのことであった。 まだ、日本人の海外旅行が制限されていた頃に、学生だったSは、南米を縦断している。ナイジェリアから帰ろうとして、飛行機の席取りに出遅れて、大男に引きずり降ろされたのも彼である。最近は、もっぱらマニラで仕事をしてるらしい。だいぶ髪も薄くなっただろうと思う。あのでかい額の汗を拭き拭き、マニラの街を歩いているのだろうか。
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