オジサンのよたよた話し


雀のお宿

「ojisanは麻雀ができるんですか」と驚いた顔で聞かれた。確かに長い間、やってないなぁと思う。でも、若い頃は、雀荘での定位置がある程度にはやっていた。そのうち、少しやり過ぎて取引先の人が相手にしてくれなくなったり、インドネシアでのギャンブル禁止令などがあって、いつのまにかやらなくなってしまった。しかし、麻雀で知り合った人も多い。

特に痛めつけられたのは、分倍河原の駅前に住んでいたオヤジだ。彼は、競輪場で予想屋をやっていた。予想を書いた紙を売って生計を立てていた。奥さんは、とびきり美人のピアニスト。彼の家で、メンツが足りないという話しで呼ばれたのが最初の出会いである。私は、まだ学生だった。学生仲間相手の麻雀では、負けることはなかったし、そのうち物足りなくなって教授達を相手に遊んでいた。だから、自分は強いと思っていた。しかし、それがとんでもなく甘いことを思い知らされた。

彼と知り合ってしまったおかげで、勤労の毎日が続くことになった。夜は、毎晩、家庭教師。土曜日は2箇所。日曜日は、映画のエキストラだの、模擬試験の会場監督。平日の昼間は、工場で饅頭を箱につめてはトラックに積み込む。箱をひっくり返すと、商品にならない。しかし、働いている人間には嬉しい間食。昼の食事は、工場で食べられるし、夜は家庭教師先で食事が出る。これだけ働くと、使う時間が全然ないから、しっかり貯まる。
1ヶ月働いて、たまったお金を持って、借金の返済に出かける。返済するだけで、黙って帰るようじゃ男ではない(と思っていた)。かくて、再び、勤労の毎日が続く。あの頃は、本当によく働いたと思う。そして、次第に、勝負のこつを覚えて行った。ちなみに、このオヤジの弟は、雀荘のオーナーであった。

麻雀は嫌いではなかった。夜中に、長野からメンツが足りないと電話がかかってくれば、車をとばしたりしていた。ある晩、箱根から電話があった。メンツが足りないから来てくれと言う。すぐに車で向かった。巨○軍の選手達が、奥さんと一緒のゴルフ大会だったのだが、一人分メンツが足りなかった。あいにく、私は、芸能やスポーツは、まるで知らない。丁度、毎年優勝が続いてV7だかV9だか忘れたが、勝ち続けていたらしい。麻雀をしながら、投手をやっていると言っていた選手が、優勝記念にもらったクォーツの時計を、私に一生懸命自慢していた。当時、クォーツの時計は、とても高くて、そんな話しを聞いても、貧乏学生にわかるわけがない。彼は、投手としての記録が、いかにすごいかの話しをしてくれるのだが、私は、「それポン」とか「チー」、「ロン」と言っているだけだ。しばらくして田舎へ帰った時に、おふくろに、巨○の○内投手って知ってる?と聞いたら、野球なんか知らないと思っていたおふくろも知っていたから、有名な選手だったのだろう。彼の自慢話しに何ひとつ感動してあげられなくて悪いことをしたと思っている。今なら、「すごいんですね~」と言える程度の智恵はある。

恐い思いをしたのは、○宿で不動産屋さん達と麻雀をした時である。若造が、年配のオジサン3人に誘われて徹麻をした。それなりに他流試合はしてきたから、ある程度の覚悟はできている。ルールは最初に話しがでたが、大事な件は何も聞かずに、朝になっていた。終わった時には、ほんのわずかに浮いていた。10程度だったように思う。当時の初任給は3万円ちょっとだったと思う。負けずにすんだことに少し安心はしていた。しかし、その清算が行われた時、私は背筋が寒くなる恐怖を感じた。そのわずかなプラスだけで、私が3ヶ月の給与生活者気分を味わうに十分すぎたからだ。あの時、負けていたら・・・。

今まで出会った人で、すごいと思ったのは、某企業の秘書さんだった。裏も表も知り尽くした感じの物腰の柔らかい紳士。この会社の重要な取引先の人達との麻雀に加えてもらったことがある。高級別荘での麻雀であった。明らかに1人は下手な人。もう1人は、うまい人。勝負の力量の差は、歴然としていた。何回か勝負を続けるうちに、変なことが起きているのに、はっと気づいた。全員の点数が、ほぼ零で推移していたのだ。そんな小細工ができるのは、彼しか居ない。すべて牌を裏返したとしても、ほぼ位置はわかるものだ。接待麻雀で、誰かを勝たせることは難しくない。しかし、平均化させるのは、そんな易しいものでない。以後、彼とは勝負したくないと思った。

最近は、たま~~に誘われてやることはあっても、2度と馬鹿な勝負はしたくないと思う。すべての牌を裏返したままでゲームをしながら、積まれた牌のイメージが持てた。そんなことができていたらしいと思い返してみても、夢のまた夢。
ところで、私を何ヶ月もの労働に追い込んだ予想屋のオヤジは、その後、小説家になった。当時も自称は小説家だったが、新聞にエロ小説を連載するようになって本物になった。そして、しばらくぶりに連絡が取れた時、彼は、某有名大学の教授になっていた。彼は競輪で家を建てたと自慢しているが、何分の一かは私が働いて建てたのだと思っている。

象牙の麻雀牌をかきまぜると、本当に、雀の声が聞こえる。チュンチュンと可愛い声で雀が鳴いているのがわかる。もう、象牙の麻雀牌を持っている人も少なくなったことだろう。

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