オジサンのよたよた話し


1つの青春

(今回は日付入り)

1987年1月25日。あの夜、眺めた月を忘れることはないだろう。ジャカルタ発のJAL夜行便は、成田に向かって飛行を続けていた。ファーストクラスの座席から、成層圏にくっきりと見える月は、満月に近かった。その明かりが全天を照らしていた。「終わったんだな」という感慨が、センチメンタルに自分の心に広がっていた。約8年かけて、ジャカルタ市内のすべての高速道路計画に参加した。そして、もう戻って来ることはないだろう。仕事をやり終えた満足感と寂しさが入り交じっていた。
実際には、それから何度も(毎年のように)、ジャカルタへ仕事で出かけてはいる。でも、あの日のフライトで、どこか自分の青春が終わったという感じがしている。悩み、嘆き、はいまわり、もうこんな所は知るもんかと怒鳴ったりしながらも純真であったように思える。

市内の首都高速道路の、あらかたの計画は、少し前に終わっていた。最後の仕事は、市内の一般道の計画であった。西暦2025年頃まで、丁度、一世代先の人達のために、なんとか(怒鳴りあいながらの妥協もあったかも知れないが)全体計画が仕上がった。詳細計画や設計は、他の人達が引き継いでくれるだろう。次は、育ちつつあるインドネシアの技術者達が頑張る番だ。1994年にハノイで出会ったベトナムの交通技術者は、インドネシアで研修を受けて帰って来たばかりだった。そのベトナムの友人の話しを聞きながら、自分達の何かが、こんな所でも生きているのがとても嬉しかった。あの数年間で、私が作りあげた交通関係のデータが、多くの場所で使われている。

その前年から、私は仕事に追われていた。帰国の日程は決まっていたが、まだ、満足できる将来計画が仕上がっていなかった。役所や事務所に泊り込みの毎日が続いていた。どんな時間に起きだしても、誰も何も言わなくなっていた。誰かが私に付き合って、朝まで仕事を手伝ってくれたりしていた。ボスが「そろそろ、結論を出しても、いいんじゃないですか」と言ってくれたが、どうしても納得できるところで仕上げたかった。政治的な要求もあれば、予算の制約もある。インドネシアでも住民の反対が起こるようになりはじめていたし、環境問題の配慮も重要になってきていた。しかし、30年後の町の道路計画であった。30年は、計画としては長期かも知れないが、歴史の中では短い時間に過ぎない。私達の仕事を手伝ってくれた若者達が、社会の中核になった時に、誇れるような仕事であって欲しいと願っていた。

決められた帰国日程になっても、まだ終わらなかった。頼み込んで、1週間の延長を願い出た。そして、また1週間。そして、また、延長願いを出して残った。何度目かの延長願いに対して、ついに拒否されることになった。業務命令で、ビザの延長が停止された。
交通計画のデータや解析は、ほぼ終わりに近づいてはいたが、時間が足りない。コンピュータを動かしたり、書類を作成したり。昔、オートバイ事故で空を飛んで以来、字がうまく書けない。罫線にそって文字を書くことが出来ない。紙に大きな字で書きなぐり続けた。1ページに数文字しか書けないこともある。とにかく記録として残そうと思っていた。こういう時には、英語でまとめる必要があるのだが、皆が協力してくれて、読みにくい紙の束を、英語に翻訳してくれた。

夜行便の出発時刻ぎりぎりまで、怒鳴りながら最後の仕上げと受け渡しをやっていたような気がする。時間ぎりぎりになって、トランクを車に積み込んだ。もう、真夜中近い時刻である。
驚いたことに、事務所の全員が外へ出てきた。帰るまで待っていてくれたのだ。こんな盛大な見送りは、今まで受けたことがなかった。「ごくろうさん」「ありがとう」と次々に声をかけてくれた。「今度は、いつ来るのよ?」「すぐに帰ってくるさ」「家でも買っておこうか?」「老後を暮らすのもいいね」。
ボスが帰りの切符を渡してくれた。何と、正規料金のファーストクラスの切符だった。オマケでファーストクラスに乗せてもらったことはあったが、正規料金のファーストクラスの切符なんて持ったのは、それが初めてのことだった。
飛行機がチェンカレン国際空港(今は違う名前だと思う)を離陸し、ジャカルタの明かりが、小さくなった時、さらば青春という思いがよぎった。自分の人生の中で、何かがひと区切りついた。青春は、年齢じゃなくて、自分なりの思い入れかも知れない。

その後、ジャカルタに出かけるたびに、自分が関わった高速道路が次々に完成しつつあるのを見ながら、全線を走るのが夢であった。そして、97年、その機会があった。計画を始めた当時は、21世紀の初頭なんて、遠い遠い未来の世界に思えていた。しかし、もう目前だ。車なんか、ほとんど走っていなかった街には、渋滞が広がり始めている。あれだけ先のことを計画したはずなのに、もう次の計画が必要になってきている。

ここに記載された内容は、どのような形でも、引用することも、ストリー展開を真似ることも禁止します。これを完成させるのが、老後の楽しみなのです。 Copyright (c) 1998 ojisan