オジサンのよたよた話し


生き残りは拡大-バブルは膨らむ-

10月はじめ、新会社の最初の事務所が出来た。

元の会社の社員の出向手続き、経理部門の準備、プロジェクト管理体制の整備、会社定款の変更、健保組合の手続き、元の会社との精算、新会社用機材準備、新会社の資金計画、教育訓練の手配、下請け企業との契約、新社員のリクルート、新しい組織を1週間程度で作りあげようというのである。もちろん、その間にも、仕事は進めなければならない。

設立したばかりの組織は、寄せ集め部隊だ。2ヶ月たっても、仕様書が1枚もあがってこない。出来たところまで持って来いと言ってみても、ほとんど白紙の紙が1枚。「仕事をしろ!」と怒鳴りつけると、「考えている段階だから、まだドキュメントにできない」と屁理屈をごねる。こんな使い者にならない外人部隊は不要だと、契約破棄を通告すると、派遣会社から恐持ての社長が怒鳴り込んでくる。いつのまにか、私は戦場の中に居た。

株式の増資を2回、最後は額面の3倍増資、これを1ヶ月の間に続けて行って、一気に資金を確保した。さらに、億単位の借金。連帯保証人として、個人の実印を押すだけで、無担保でお金を貸してくれた。もちろん、強気の事業計画を話すという飾り付けは用意したが。私のような只の技術屋は、次第に、お金の感覚が麻痺して行った。そして、気がついたら、いつのまにか社長になっていた。

12月、高層ビルのトップフロア。下には代々木公園の緑が広がり、新宿から池袋まで一望できる。反対側は、東京湾が美しい。そんな青山の一等地の最上階にオフィスを構えた。

仕事は、確実に遅れている。3月納期の仕事に対して、何とか器だけでも準備ができたのが12月なのだ。一気に仕事を立ち上げて片づけるために、外人部隊を大量に雇った。新入社員もやとった。時間に追われる中で、世の中どこもかしこも人手が不足している時期に、本当に仕事をしてくれる人達をみつけるのは、砂浜で翡翠でも探すようなものだ。
大量の砂をすくって、その中から、1人でもみつかってくれれば良いという心境だった。だから、全体としての効率は非常に低い。わずかな人達が、見せ掛けの大部隊をささえている構造(どこでも、似たようなものだが)が続き、仕事ができる人間には毎日泊まり込みの負荷がかかり続けていた。

私は、毎日、オフィスの窓から1万円札の札束を青山通りに向かって投げているような心境だった。お金はどんどん出て行く。仕事は進まない。納期が迫って催促は激しくなる。S国の先物市場での、取引開始日時は、既に決まっている。走る、走る、ひたすら走るしかない。人を増やし仕事を増やし、拡大路線をひた走る。

金遣いが荒くなって行った。酒が飲めないのに、付き合いで高級店へ行ってみたり、女の子に食事を奢ったり。ブランド物の洋服やハンドバックをせがまれると、ぽんと買ってあげたりした。気がついたら一晩に100万円の札束が消えたこともある。お金を使っても、何も楽しくない。ひたすらストレスがたまる一方だった。初めてしまった拡大ゲームを、ひたすら続けるしかない。ビジネスの成功と、強気の発言を繰り返していた。2~3年後には、自社ビルを持とうと言っていた。朝礼で、社員を叱咤激励する、とてつもなく嫌味な男になっていた。

髪の毛がばさばさ抜けて行った。風呂に入って髪の毛を洗うのが恐くなった。朝、髪をとかすだけでも、髪の毛が抜けて行く。白髪まじりの髪が、どんどん薄くなっていくのは歳だから仕方がないだろうと諦めてみても、その抜け毛の量は異常に多かった。ある日、鏡を見て、他人が隣に居るかと思うほど驚いた。そこに映った顔は、嫌な目付きの老人だった。

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